善く生きるとは言うけれど

インチキ臭い


僕がひねくれているせいも有るんだろうけど、やはり高名な宗教家が言うのであれば、まあそうかもねと納得する言葉も、そのへんの社長あたりや自分の上司あたりが言う言葉になると、突然に嘘くささが増す現象について考えてみようと思う。

そもそも、何故嘘くささを感じるかということだが、「善く生きる」という言葉の定義が非常に曖昧だからなんだと思う。
「善く生きる」という言葉を最初に使ったのはソクラテスさんらしいが、真意としては「正しく生きる」ということらしい。

正しく生きるというのは、哲学的に正しく生きるということで、その「正しく」という意味は「正しい意味を理解して」とつながっていくらしいです。

そういうあたりから自分なりの解釈をすると、「善く生きる」≒「自分が体験した知を信じて生きろ!」とロックな感じにも解釈できるのではないかと思うのです。
・・かなり厳しいか?(^_^;)

お前が言うな


拡大解釈のような気がしますけど、いくら頭が良くて色んな書物で知識をつけたとしても、実際に体験することの重要性と比較すれば、体験することの大事さが下回ることはないと思います。
ひとの持っている時間は有限ですから、どんなお金持ちでも、どんな優秀な人でも体験をする時間は限定されてくるでしょう。

ただ、貧乏なひとよりも遥かに色んな体験をする機会が、金持ちや優秀な人には可能性がある以上、そのひと達は最終的には「善く生きることが出来た」という解釈ができるのかもしれません。

全く貧富の差ってやつは・・(#・∀・)
という結論にしたかったわけではないのです。

「善く生きる」≒「人の言葉を聞き、素直な気持ちで生きなさい」
仮にこのように解釈させたとします。
解釈としては大事なことですし、間違いではないですよね?

問題は、誰が言うか何だと思います。
どうしても、この言葉に嘘くささが漂うのは、こういう言葉を吐く人間が、職場の上司であったり、学校の先生であったり、政治家であったり、会社の社長であったりと明らかに利害を持っていそうな人間が使うことが多いからじゃないんですかね?

最近でこそ、有事法制とかテロ等準備ナントカカントカで、怪しげな法律を立て続けに作ろうとしていますが、昔とは違うことを考えておかないと、今の世の中、気がついたら国民が国籍を変えちゃう可能性もあるわけですからね。

まあ、結論がぼんやりとしてしまいましたけど、いい言葉を言うよりも、誰が何を言うか、そしてお前が言うなという言葉を言う時は、必ず裏があるということですよね。

折角ですからまとめると、「善く生きる」という言葉のインチキ臭さについて考えてみたけど、その言葉を吐く人の都合を押し付けられていることがすけて見えるのが原因ではないかと思うんです。



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