でたらめ(病前性格)

死のサイコロ

ドイツの帝室博物館に「死のサイコロ」が陳列されているらしいです。

見たこと無いんで知らないんですけど、この間ネットで面白いものないかなあとウロウロしていたら、死のサイコロについての話を知りまして、今回のネタにしようかと思ったところです。

ネットで見つけたこの話ですが、元ネタは明治時代に遡りまして、東京帝大の先生で枢密院の議長までやったという穂積陳重(ほづみのぶしげ)氏が書いた、法窓夜話だそうです。

著作権も切れておりますので、下記に原文引用をさせてもらいます。

ドイツの帝室博物館に皇帝よりの御出品として「死の骰子」(Der Todes Wurfel[「u」はウムラウト(¨)付き])という物が陳列してある。第十七世紀の半ば頃、この骰子(さいころ)をもって一の疑獄が解決せられたという歴史附の有名な陳列品である。
事実は次の如くである。或一人の美少女が何者にか殺害せられたことがあった。下手人の嫌疑は、日頃この少女の愛を争いつつあった二人の兵士の上に懸(かか)った。その一人はラルフ(Ralgh)といい、他の一人はアルフレッド(Alfred)というた。しかし二人とも身にいささかも覚えなき旨を固く言い張って、拷問までもして見たが、どうしても白状を得ることが出来ない。そこで現帝室の御先祖たるフリードリヒ・ウィルヘルム公(Friedrich Wilhelm)は、この二人に骰子を振らせて、その敗者を犯人と認めるといういわゆる神意裁判を行おうと決心せられた。
荘厳なる儀式をもって、公は親(みずか)らこの神意裁判を主宰せられた。ラルフはまず骰子を投じた。輾転(てんてん)また輾転、二個の骰子は共に六を示した。合せて十二点。得らるべき最高点である。彼は少なくとも敗者となる気遣(きづか)いはない。神は既に彼の無罪を証拠立てたのである。相手の有罪の証迹は次いで顕(あら)われることであろう。
アルフレッドは今や絶体絶命、彼は地に跪(ひざまず)いて切なる祈を神に捧げた。「我が罪無きを知り給う全能の神よ。願わくは加護を垂れさせ給え」と、満腔の精神を隻手(せきしゅ)に集めて、彼は骰子を地に抛(なげう)った。見よ、戞然(かつぜん)声あって骰子の一個は真二つに裂けて飛んだ。一片は六を上にしている。一片は一を上にしている。そして他の一個の骰子は六を示しているではないか。彼は実に天佑(てんゆう)によって勝ち得べからざる勝を贏(か)ったのである。満堂いずれも奇異の思いをなして一語を発する者もない。
さすがのラルフも神意の空恐ろしさに胆を冷して、忽ち自分が下手人であることを白状した。「これ実に神の判決なり」と、公はかく叫んで、直ちに死刑の宣告を下されたということである。

・・長いですね(^^;)

まとめますと、昔々ドイツがまだプロイセンという名前だった頃の話で、ある美少女が殺されたそうです。
その容疑者としてラルフとアルフレッドが捕らえられました。
拷問してもどちらが犯人か判らなかったので、二つのサイコロの目の合計で数字が大きいほうを勝ちという事で犯人を決めることにしたそうです。
実は真犯人はラルフだったのですが、彼が最初にサイコロを投げるましたところ、6の目が二つ。
・・つまり、この時点で引き分けはあったとしても負けという事は無くなったわけです。ところが、アルフレッドがサイコロを投げたとき、1つのサイコロは6の目を出し、もう一つのサイコロは真っ二つに割れてしまい、6の目と1の目を出したそうです。

その直前までしらを切っていたラルフも観念して、自分が犯人だと自白したという話で、教訓としては『神様ってすごいね~』という事でしょうかね。

穂積陳重氏がドイツ帝室博物館で見たと言われているんですが、ネットで検索してみたんですけど、まず、どこにその博物館があるのかさえ分かりませんでした。(^^;)
ご存知の方、写真をお持ちの方見せていただけると嬉しいです。

でたらめでちょうどいいと思う

でたらめの語源は、出たらその目という説があるそうですが、今回もその説に乗っからせてもらいます。

出鱈目(でたらめ) – 語源由来辞典

出鱈目(でたらめ)の意味・語源・由来を解説。

2型双極性障害を50歳を過ぎて発症してしまった自分ですが、自覚症状は今から思えば、結構昔からあったんだと思います。
1型・2型を問わず双極性障害を発症する人の病前性格というのは、社交的、空気が読める、ユーモアがある、現実的と言われてます。

ちなみに病前性格とは、発症前の性格のことですね。

結局、今たまーに思うのは、もうちょっと適当に生きていけば、この双極性障害も発症せずに一生を終えたんでしょうね。
同じ日本人でも、もうちょっとゆるい仕事をしていたり、資産家の家に生まれていたりしていればですね。

よく日本の企業文化で、一つの事象を色んな側面から分析をして、それを何回も繰り返すことによって技術を深化させてきたことを礼賛するものがありますけど、事実は事実として記録するだけでも大体のところの流れで結論は決まってくるわけですし、無駄な作業とは言わないまでも今の時代にはあまり向かないのだろうと思うのです。

デジタルな時代ではなくアナログな時代なら、そういう風に事象をいじくりまわすことも必要だったんでしょうけどね。
いずれにしても、性格的なものってなかなか変えようと思っても変えられないものでけど、ある程度頑張ってみてダメならダメで天命を待つってことが、双極性障害だけじゃなくって日本人の働き方にも一番大事なエッセンスなんでしょうね。(^^;)



ブログ村

暇つぶしになった時は、クリックしてくれるとうれしいです。

にほんブログ村 地域生活(街) 九州ブログ 福岡県情報へ
にほんブログ村

にほんブログ村 健康ブログ 健康管理へ
にほんブログ村



シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする